Philosophy and Critics

 

 Coexistence on a planet as a hope born of eyes that see the invisible. 

見えないものをみつめる瞳が生みゆく希望としての惑星における共生


Seeing or the philosophy of invisibility



見るという行為には、その人のインヴィジヴルな哲学の匂いが漂う。
それは、大乗仏教に描かれる次に引用する説話の意訳が物語る。



~同じインダス河の水も、暗く閉ざした命の瞳には火と映り、平らな、穏やかな命には水と映り、開かれたおおらかな瞳には甘露と映るのである。



「見る」という行為を通して私達が受け取るものは、実は、私達が普段意識していないものをも含めた私達自信の命の状態なのである。
それは、例えば、想定外の試練に置かれた時、その状況を絶望と見るのか、あるいは「今と未来のための変革の機会」と見るのかでは、その後の人生が全く異なるものになることを思い出して見た時に、用意に想像できることではないかと思う。

 


「見る」という行為には、命と人生へのメッセージが自ずと現れるのだ。
それを他者の瞳というパブリックな空気に触れさせる作品というミディアムに変容させた時、「見る」という行為にはインフルエンスであるが故のある種の責任が生まれる。
それは、世界史に今も燦然と輝く良心ある科学者や、優れた詩人や芸術家や宗教家達が皆そうであるように、人間と生命に対する飽くなき慈しみという大いなる愛を知る者達の使命であると思う。
その使命の扉を開いた時、自己に囚われるが故に生まれる痛みの苦悩から私達は解放され、自らが開いた大きな愛の扉のそのとこしえの包容力に、自他共に包まれ、輝きゆくに違いない。
そして、その大いなる愛というミッションが存在するが故に、私達人類は、成長という最も大切な人生の幸せへ、自らを向かわせてゆけるのだと思う。

 


3・11後、美術家として、写真を用いたフォトアートプロジェクトに取り組み始めた時、福島県に暮らす私は、このミッションを自らの創作の背骨に置いた。
早い時は朝の4時半に家を出て、夕方は日没過ぎまで撮影を続けている。

 


この度ご覧いただくものは、僅かなささやかなフラグメンツであるのだが、このプロジェクトが写そうとするものは、目に見えないものに対する課題だけではない。
どのような状況下にあろうと、自然という生命の大宇宙から私達人類は、尽きることのない美と恵みと生きることの真理を与えられているという真実である。
どれほどの痛みと苦悩の闇におかれようとも、希望という魂の大空を人々から奪うことはできないという、人類史が証明する一つの真実なのである。
と同時に、その希望の大空は、昇りゆく日の出を伴い、瞬時もたゆむことなく未来へ向けて生まれかわりゆきながら私達ひとりひとりの命の裡に常に存在するという、いき生かされていることの摂理なのである。

 

 


「本当に大切なものは目に見えないものの中にあるんだよ」
童話、「星の王子様」を描いたサン・テグジュペリのあまりにも有名なこの言葉の普遍性は、見えないものを見ることがいかに大切であるかを物語るところにある。
それは、大乗仏教に説かれる仏眼(心をみつめ、理解する目)と同じ、命の価値の恒久を知る眼差しを指すのである。


この目の存在が、実は、気がつかないでいるだけで、誰の命の中にもあることに気づき、開かれゆく時、世界は、憎悪や紛争を手放しても生きてゆける世界になるのだと思う。
地球という美しい青いマーブル模様の硝子細工のような惑星の、誰もが愛すべき平和な幸せの未来の姿への扉の一つを、このプロジェクトがみつめ、そのミディアムとしての写真という映像の瞳に表し、伝えてゆけることを、生命の大宇宙に生き生かされる全ての命ある者の一人として、深く願うのである。




「DRUG」、no.23/2013年7月18日刊)より抜粋。




 

Critics about Yoshiichi Hara

写真家、原芳市 「常世の虫」 

Tokoyo-no-Mushi by Yoshiichi Hara
Photograhy



原芳市は、「祈り」という魂の行為を、その寓話的な作品のベースメントに感じることができる文学的素養を携えた国内では数少ない写真家の一人である。


新宿のサードディストリクトギャラリーでは、そんな原芳市の祈りの物語りが、今を遡ることおよそ1000年の昔に起きた国内最初の宗教弾圧とも囁かれるある史実を巡るエピソードにインスピレーションを受けながら、静謐なモノクロームの作品を通して現代を舞台に繰り広げられていた。


あの、すでに古典となったカフカの小説などが良い例なのだが、虫は、そのメタモルフォーゼの特質により、良くも悪くも変身願望のメタファーとして、古来より人間の営みにおいて引用されてきた。
一寸の虫にも五分の魂と言われるとおり、指先ほどの大きさでしかない地上を這う生き物が、機が熟せば優雅な羽を広げて空を飛ぶ様子は、時代を超えて人々の心を揺さぶる力に満ちているのである。

それ故、古の日本において信仰の対象となった虫(おそらくは揚羽蝶の幼虫)と、それを崇める当時の人々の様子を描いた記録としての言葉の世界に、原芳市は、文学的な考察を廻らせ、写真というヴィジュアル表現のノートの上に自らの解釈と「祈り」のあり方を詳らかにし、更には、未来への不安や恐れが拭い切れないまま21世紀を歩む今日の私達人類へ向けて、彼なりの希望のメッセージを託したのではないだろうか。




そんな原芳市の祈りを紐解くキーワードのような写真が、ギャラリーの壁面に何枚か置かれているのを記憶している。

一枚は、二匹の蛾が宙を舞うような写真。
もう一枚は、すやすやという寝息が聞こえてきそうな、繭を連想させる姿で眠る赤ちゃん((原芳市の孫)の写真。
そしてもう一枚は、これは全体の構成の最後に位置した作品であったが、公衆電話に一匹の虫(カミキリムシと思われる)が止まっている写真、である。


コンストラクティヴな抽象的なものが接続詞として時折用いられる全体の構成の中、この三枚には牛側から発光しているような印象があった。
それは、あたかも、生きるとは、どれほど逆らおうとしてみたところで、一人の観念の中だけではなし得ない具体的な行為であることを、私達観客に伝えるために、人生の十字路に置いた生命の信号であるかのようである。
私達観客は、「常世の虫」を通して原芳市が用意した生命の信号が指し示す方向へ自身の今と未来を静かに重ね合わせるのだ。
そこにあるのは、自ら他者と出会い、対話を重ねることで生まれゆき、育まれゆくぬくもりある確かな現実の積み重ねの歩みこそが、即ち生きることであり、また創造のリアリティーであり、そして祈りの根本である、と物語るかのような人生の体温を感じさせる声である。



展示の最後に啓示のように置かれた一匹の虫と公衆電話の写真は、まさに生きることの気づきを得たある人物が、他者である誰かと繋がるために受話器を前にし、深く息をしているかのようである。
その見えない、けれども希望を孕ませた息遣いから始まる人生の次なる舞台に、原芳市の祈りの旅の地図が、より鮮明に描かれてゆくにちがいない。


そのような予感を漂わせる写真であるだけに、今後が楽しみな作家の一人としても、原芳市は存在するのである。


彼が愛する虫たちのように、どのようなメタモルフォーゼを経て、どのような空を飛ぶのか、そのファンタジーを支える彼のリアリティーを見守りたいと思うのである。





*【詩人・千葉節子のアート・クリティーク・ピュアリファイング~Art Critique Purifying by Setsuko Chiba / 写真、『その膨張する生命の宇宙のエコー』から『メタモルフォーゼとしての祈りの旅の地図』】(DRUG23号2013年7月18日発刊)より抜粋




 

Critics about Kiyoshi Ikejiri

 


写真家、池尻清作品「Life Beyond」~ 
<時空を超えて放たれる「人々」という限りなき希望が奏でる普遍なる幸福の律動の香り>                                      



過ぎ去りし日々を振り返る時、その走馬灯のような記憶の波間に、未来へ通じる現在の種子を見出せることができる作家は幸せである。


写真家、池尻清の、1970年代におけるイギリスはロンドンを舞台にした未発表作品を中心に編まれた「Life Beyond」を、東京は目黒のギャラリーカフェで見る機会に恵まれた時、膨大なフィルムワークによって長らく封印されていたこの興味深い作品集の誕生の扉の隙間から見えた光は、そんな未来へ通じる現在の種子を、幸運にも照らし出しているように思えた。
それは、このモノクロームを中心にした作品の中に登場するロンドンの市井の人々の普段の生活とパラレルに存在する人生の悲喜こもごもの光景が、これらを撮影した70年代後半のみならず、それから30年以上を経た現在の、人間社会の、ごく日常的な営みが醸し出すものの魅力と、ほとんど変わらないオーガニックな体温の香りを感じさせるものであったからである。

時は流れ、世の中はアナログからデジタルへと移行し、そして、時代は、私たち人類の想像を遥かに超えた想定外の次元へと、刻一刻と変わりゆく。
けれども、池尻清の写真、「Life Beyond」の中における人々は、時間が無限に流れゆき、時代が幾重にも大きく変わりゆこうとも、それぞれがそれぞれの人生の日常の舞台において、歩き、佇み、座り、みつめ、笑い、語り、そして抱き合うのである。
集い、離れ、探し、見つけ、そして明日を夢見るのである。

この、一見ありふれているかのような、変わることの無い、平凡な日常の営みのその一つ一つに、どれだけの幸せな温もりが存在するのか。そして又、それらは、どれだけの信頼と安心と、そして、それらを保つための不断の努力に積み重ねられたものであるのか。
2001年の9・11、アメリカはニューヨークにおける同時多発テロや、2011年の3・11、日本における東日本大震災と福島第一原発事故という、地球における新たなるテロと、環境と、そして、核によるカタストロフィーの時代の始まりを告げゆく幾つもの凄惨な出来事が記憶に刻まれゆく中、それら、市井の人々の平凡な幸福の光景が放つ眩しい輝きに対して、例えば冷ややかな意識が個人の中に生まれるとするのなら、悲しいかな、その個人は、本当の幸せの深さと出会ったことがない人生を送っているのだと、これからの行く末に危惧の念を抱かれてもいたしかたないと言えるであろう。

そのような、「人間力」とも形容でき、又、人々がその命の中に携える、今という瞬間を全力で誠実に生き抜こうとする明るい底力のようなものの価値を、池尻清の「Life Beyond」は、新たな観点で再考察させてくれるが故に、混迷深める現在の地球と世界において、その写真作品の誕生は、意義あるものの一つであると言って差し支えないものと思うのである。

懐かしさではない。
池尻清のこれらの写真が物語るのは、私達、人間の、それぞれの生命の奥底に宿る、現在と未来を切り開く、生きる力なのである。
人々、という有形にして無形の愛すべき価値が伝える、その限りない希望の存在なのである。


一方、「Life Beyond」には、写真が写し出し、そして又、私達見る側に滲ませるように告げるもう一つの「幸福感」が存在している。それは、この市井の人々の「人間力」という普遍性を、ふわり、と肩を風にそよがせるかのようにレンズで捉えている写真家、池尻清のカメラアイがそれぞれの写真を通して物語る、「撮影する側としての幸福感」である。

当時、作家は、来る日も来る日も無我夢中でロンドン中を歩き回り、心で被写体を捉え、心でシャッターを押していたのに違いない。そして、心地良い疲労と共に人の気配のない公園等でくつろぐように風景をみつめ、大空を見上げ、更には光と影の洗礼を受け、そして、満たされた心のままに作品の一つ一つを編み出そうとしていたのに違いないのである。
その写真家の心に漲る、撮影することへの至福の調べが、登場人物のそれぞれの人間的な営みと調和の律動を奏でるかのように溶け合い、膨らみ、表れたのが、写真家、池尻清の「Life Beyond」の世界なのである。

しかしながら、その一方、記録としても十分魅力的ではあるものの、そのままでは終わらせまいとするこの写真家の意図に、私たちは、池尻清の作家としての一つの幅を見る。
長い歳月を経て現地を訪れた写真家の眼差しが、モノクロームではなくカラーで捉えたロンドンの光景に、イギリスが生んだ世界的な劇作家、ウィリアム・シェークスピアの戯曲の台詞を入れ、過去と現在をタイムスリップするかのように70年代の写真と写真の間に巧みに置いた構成は、おそらく、ロンドンという一つのシンボリックな空間と長きに渡り縁する幸運に恵まれた一人の人間であるからこそ可能な演出であると思う。
その傍ら、その意匠の試みの中に、「時間と空間と意識」、という哲学的命題を掲げたのではないかと想像されるが故に、創作に携わる者としてのポジティヴな挑戦の姿勢が表れているように思うのである。


「人生は短し、されど芸術は長し」。
この聞きなれた言葉を自身に言い聞かせながら、自らの課題に取り組むのが、おそらくは、多くの作家達の変わることの無い日常の風景である。
その自身との孤独な戦いの長き舞台において、過ぎ去りし過去の中に、現代と、そして未来へ通じる生きることの希望の種子を見出す「幸福」を、池尻清のこれらの写真が育み、広げゆく流れを産み出しゆく時、彼の「Life Beyond」は、その名の通り、個人の人生を超えて希望の香りを放つであろう。

その名に値する貢献を、池尻清の写真は、時代を超えて続けゆくものの一つと果たしてゆくであろう。